リックへ

リックが旅立って5日、お骨になって3日たったよ。

 

リックがいないと暇だよ。

 

毛が落ちてるからって毎日掃除機かけなくていいし。

ご飯の用意もしなくていいし。

おしっこシートをいちいち変えてあげなくていいし。

綺麗なお水を入れてあげなくていいし。

床に垂れた涎を拭いて歩かなくていいし。

散歩に行かなくていいし。

 

今までリックと一緒にいることで埋まっていた時間。

突然目の前に時間が生まれて。嬉しいわけ無いよ、すっごく淋しいよ。

 

リックが旅立つ直前まで家の中の色んな所を歩き回っていた動画、お母さんに見せてもらったよ。

昔の思い出を懐古してたんだよね。

ここでシャンプーしたなぁとか、この部屋でよく昼寝したなぁとか。

ここから散歩に出たなぁとか、ここでよくご飯待たされてたなぁとか。

リックにとっても楽しい思い出がいっぱいの家だったかな。

 

けどさ。万が一にも私のことを探してたんだとしたら、見つかってあげられなくてごめんね。一緒にいてあげられなくて本当にごめんね。

苦しくてフラフラしながら頑張って歩いてたのにね。

 

私の勘違いだといいなぁ。

 

ありがとう 今までもこれからもずっと大好きだよ

日本時間の2018年7月14日(土)の朝5時20分ごろ、16年一緒に育った愛犬が旅立った。

 

5月に日本に帰った時、突然具合が悪くなり、一緒に病院に行ったね。

飲みたくても飲めないお水、止まらない下痢、あんなに大好きだったご飯も全然食べられなくなって。横たわってブルブル震えるリックを見て、このまま死んでしまうのかと思った。

けど一週間、あんなに嫌いだった車に大人しく乗って病院に行って、頑張って毎日3本も注射を打って。

徐々に歩けるしご飯も少しずつ食べられるようになって、心配だけどリックのことだからまた回復して元気になってくれると思ってアメリカに帰った。

 

その後も何度も病院に通って、お薬も頑張って飲んでたけど、あまり回復が見られず、体力を奪うだけだからと病院へは行かずにお母さんの手作りご飯で頑張っていたね。

あんなに大好きだったヨーグルトも食べないと聞いた時は悲しかった。

けど豚肉もブロッコリーも美味しい匂いがすれば食べて、君は本当にグルメな犬だったねぇ笑

お肉食べるようになって、体重も増えて、もっと食べたいとわんわん鳴いて、家の中もちゃんと歩くし、お布団ガーガーするし。ちゃんと回復してるんだと思ってたよ。

お母さんと週に一回は散歩も行けるようになってたなんて、君は本当に歩くのが大好きで、外の空気が大好きで、強く逞しい犬だったよ。

 

アメリカ時間の7/13日午後2時ごろにお母さんからラインがきた。

「リック 昨夜より 急変して 昏睡状態ですーゴメンナサイ」

お母さんから横になって瞬きしかしないリック動画が送られてきた。

いつもの体調の悪そうなリックとは全く違う、もうただ頑張って呼吸をしているリックがそこにはいた。

すぐさまテレビ電話をかけてリックを映してもらった。

もう目もほどんど見えてないし、耳も全然聞こえてなかったリックに、スマホ越しに声をかけてもなんの意味もない気がしたけど、必死に呼んだ。

そしたらなぜか少し動いてくれて。

あぁ、聞こえたのかなって嬉しかった。

けど、撫でてあげることすらできないのが悔しくて、寄り添ってあげられないのが悲しくて、とても辛かった。

30分ほどで電話を切って、日本に帰るかどうするか考えた。

昏睡状態になって3日ほどは生きていてくれると聞いたことがあるから、明日の乗り継ぎ便で帰ればまだ間に合うかもしれない。旦那が帰ってきたら相談しよう。

そう思って夜ご飯のカレーの準備を始めた。

 

玉ねぎを炒めている途中、携帯を確認したら10分前に2回も母から着信が来ていた。

あぁ…と思い折り返し電話をした。

やはりそうだった。

リックが旅立ってしまった。

 

なくなったリックを電話に映してもらったら、まるでただ横になって休んでるみたいに目を開けて寝ていたね。暑い時によくそうやって横になってたじゃん。生きてるみたいだった。信じられなかった。

可愛い目を最後に見せてくれて、ありがとうね。あんなにキラキラしてた目に光がなかったから、本当に旅立ってしまったんだと、そういうことなんだなと思った。

 

電話を切り、呆然とした。

電話を切ったらもう分からなかった。本当に旅立ってしまったのか。

目の前にリックがいないのはアメリカに来た時からそうだったから。

本当は死んでないんじゃないか。実感がなかった。

その後は呆然としながら、よく分からないまま、カレーを作った。

シャワーを浴びて。

旦那が帰って来た。学会出席してたから約一週間ぶり。

第一声で伝えた。声に出して、他人に伝えた。

「リックが死んじゃった」

 

その瞬間から涙がぼたぼた落ちて止まらなかった。

声にならない声で泣き、肩が震える。

他の人と共有することで自分でも分かったのかもしれない、本当に旅立ってしまったことが。

旦那は私を落ち着かせながら「日本に帰りな」といった。

リックが旅立ったと電話を受けた後、自分は帰らないんだろうと思った。

夏だから遺体の痛みも早いし、直行便で帰っても無駄だ。

行ったところでもう死んじゃったんだ。

行ったところでリックにはもう会えないんだ。

何より、行って冷たくなったリックに触れる悲しみを味わいたくなかった。

 

それでも旦那は言った。

「後悔しない方を選びな。リックは来てくれたら嬉しいと思うよ。」

自分が最後にちゃんと会いたいからという理由でドライアイスでキンキンに冷やすのが可哀想だと思った。リックも早く楽にしてほしいだろうと。

「リックも家族でしょう。行ってあげな。」

 

そうだった。リックは正真正銘私の家族だ。私が受験勉強で辛い時も、就活で辛い時も、失恋で辛い時も、いつも横に座ってあっためてくれた。

亡くなる直前、リックが辛い時にそばに居てあげられなかった。

最後くらい一緒にいたいと思った。

 

翌日昼の直行便で帰ることを決断した。

 

長い飛行機の中、ほぼ眠れなかった。

自分がなんで飛行機に乗って日本に向かっているのかを思い出すと悲しくて。直行便は快適だなぁ、リックありがとうと思いながらも、こんな悲しい気持ちで飛行機に乗ることは二度としたくないと思った。

 

家に着いて、対面したリックは、可愛くて可愛くて、やっぱりただ横になって寝てるみたいだった。

いつもと違うのは、ダンボールの中に入れられて、体の周りにドライアイスを置かれて、すごく冷たくて、呼んでも全然反応してくれないところだけだった。

 

本当に可愛かった。毛並みも綺麗だし、全然臭わないし。

 

もしかしたら私のために、綺麗な状態のまま待っててくれたのかもしれないね。

リックは本当にいい子だったよ。最後の最後まで優しい可愛いいい子だった。

 

冷たいリックに触れて、やっと理解した。

本当に死んじゃったんだなって。

もうなでなでしても目を細めて気持ち良さそうにすることもないんだな。

 

でも同時に安心した。

安らかな顔で寝てるから。最後の最後、苦しくなかったんだね。

 

その夜は両親とリックの思い出を話しながご飯食べた。

昔のパソコンを持ち出してリックの写真を集めた。

小さい頃のリックも久々に見たよ。

本当に可愛いよ君は。

 

やんちゃで悪さばっかりして大きな声で鳴いて。

若い頃はすっごく手こずったけど、やっぱり大好きだったよ。

 

翌日は朝起きて、リックにおはようしてご飯食べて。

抱えて階段降りて、久々に地下に来たね。

それで、綺麗な棺に入れてもらって、一緒に最後のドライヴしたね。

好きだったお散歩コースも通れたし、通ってた病院の前も通れたし、楽しいドライブできたかな。

 

リックと一緒に入れるお花、直前まで全然頭になくてごめんね笑

パンとご飯とおやつは入れてあげようって言ってたけど、お花のことはすっかり忘れてたよ。リックは花より団子だから、許してくれるよね。

私が作ったドライフラワーと家の植木の葉っぱで勘弁してね笑

 

棺にパンとご飯と少しのお花と一緒に入ったリックはやっぱり可愛くて。

寝てるだけみたいだった。

毛並みも本当に気持ちいし、いつものリックの匂いがするし、ハンサムだよ。

バラと一緒のリックはハンサムだったよ。

 

棺を炉に入れる時、本当にお別れなんだと思った。

もう一生触れることはできないんだ。

匂いを嗅ぐこともできないんだ。

リック口臭いよって悪口言うことはないんだ。

耳気持ちいよってフニフニすることもできないんだ。

頭こちょこちょして耳ふるふるするのを見ることもないんだ。

 

辛かった。悲しかった。けど泣いてお見送りされたくないかなと思って頑張って耐えたよ。

最後じゃないもんね、また会えるもんねって、待ってるよって、聞こえてたかな。

 

お骨になるまで待ってた2時間も、リックの話ばっかりしてたよ。

いい話も悪い話も全部したよ笑

お坊さんがお経読んでたけど、あれはリックに向けられたものだと思ってね笑

 

骨になって帰って来たリックは、やっぱり可愛かったよ。最後の最後まで本当に可愛かったよ。

がっしりした体型だったから、さぞかし骨も太いんだろうと思ってたけど、帰って来たリックは細くて小さくなってた。

けど16歳で病気もしてたのに、しっかり骨が残ってて、逞しくて強いおじいさんだったって再確認できた。

リックの骨一つ一つが可愛くて、愛らしくて、食べちゃいたいくらいだよ。

ニューヨークには可愛いしっぽと足の甲と爪を持って帰るから、尻尾フリフリしながら元気に歩こうね。

 

骨壷に綺麗に収まったリックと一緒に家に帰って来た時、なんだかホッとしたよ。

これでずっと一緒に居られるような、常に横に居てくれるような気がする。

前より近くにリックを感じるよ。

 

 

けどやっぱり悲しみは消えない

もう撫でられない。

もう声が聞けない。

もう匂いがしない。

もう一緒に歩けない。

 

今まで普通にそこにあったものが突然なくなるのは本当に悲しいし、ふとした瞬間に居ないんだったと気づくことが多くて辛い。

私はアメリカに帰るけど、ここに居続けるお母さんは本当に辛いだろうと思う。

もう頭を悩ませてご飯を作る必要もないし、痛い膝を抱えながらトイレの始末をする必要がないのに。それが逆にすっごく淋しいだろうと思う。

 

この家にはリックの思い出が多すぎる。

壁や床のいたるところにリックの痕跡がある。

この家の歴史はリックなしでは語れないから。

リックの面影を感じながら、けどやっぱり会えないんだと日々実感しながら暮らさないといけないから。

 

リックはちゃんとお母さんに寄り添ってあげてね。

あなたじゃないと癒せないから。

 

全ての生き物はいつか死ぬ。

リックは死んじゃった。

けど私もいつか死ぬんだ。

一足先にいってしまっただけなんだ。

私もいつかそこにいくんだ。

そしたらまた会えるんだ。

私は忘れないから、リックも私のこと忘れずに待っててくれると嬉しいよ。

これからは食べたいだけご飯食べられるよ。

パンもヨーグルトもスイカも全部美味しく食べられるよ。

食べすぎには注意して、ハンサムでかっこいいリックは維持してほしいけど。

暑さも気にせずいっぱい走って友達といっぱい遊んで。

また会える時まで楽しい日々を送ってね。

16年間一緒にいてくれて本当にありがとう。

これまでもこれからもずーっと大好きだよ。

こういうことです

つれづれなるままに、日暮しPCに向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつく。

 

 平成の元年に誕生、東京で生まれ育つ。幼少の頃の私を表す言葉は「 THE 恥ずかしがり屋さん」だろう。小学校5年生で転校したが、転校先で友達が1人もできずに卒業したのはここだけの秘密である。

 

中学高校は都内女子校で雑草のようにのびのび育つ。おかげでシャイではなくなった、むしろ自己主張強め。良く言えば素直、悪く言えば毒舌。オブラートはいつかの時点で溶けて無くなった。

 

ストレートに大学進学。課題の多い学科だったためサークルに入らず。勉強をするか友達と飲みまくる大学生活。バイトはたまに、ごくたまに。

就活そっちのけで勉学に励むも流石にヤバイと気づく。しかし就活への意欲が全く湧かず、10社程エントリーするも面接でことごとくお祈り。

祈られることに疲れたため就活をやめ、無職確定のまま卒業。

 

特にやりたいこともなく。起業なんて夢のまた夢。仕方なく新卒で派遣として一部上場企業で働き始める。

1年目から怒涛の忙しさ。定時退社って幻か。正社員より働かされる謎。

辞めたくて辞めたくてしょうがない1年目。とにかく飲み歩く。

辞めたくて辞めたくてしょうがない2年目。とにかく飲み歩く。

辞めたくて辞めたくてしょうがない3年目、気づいたら正社員になる。

辞めたくて辞めたくてしょうがない4年目。ありがちな習い事で充実した毎日を演出。

このままでは生ける屍でしかないと、満を辞して退職。

 

退職後渡米、彼氏の家で穀潰し。

その半年後、入籍。

穀潰しを極めるべく、日々鍛錬。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」をモットーにジムに通う。

 

 

はたから見たら過不足ないお気楽な人生。

内実、「生は苦しみ」だと思っておよそ四半世紀過ごしてきました。

ここ最近そんな呪縛から解かれつつある。

 

結婚はいいもんだ。